キングス・クロス駅の公衆電話
"No, カードは使えないわ"
電話をかけようと、公衆電話を触っていると、隣で同じく公衆電話を使おうとしている女性が、同じく公衆電話を触りながらつぶやいた。
ロンドンのヒースロー空港からキングス・クロス駅までは地下鉄で1本なのだが、キングス・クロス駅からどの電車に乗り換えたらいいのかわからず、その日からお世話になるホストファミリーに電話しようとしていたのだ。
そう、私たちは、公衆電話を「触って」いた。
そこに何台もあった公衆電話の上には、1台ごとに使い方が書いてあるプレートがあり、それによると、使う前にコインを入れるか、クレジットカードをスライドしろとある。
しかし、コインを入れても(全種類試した)すぐにそのまま落ちてくるし、カードをスライド出来そうな細い溝は電話機の左右にあり、どちらを試しても、上から下に、下から上にと試してみてもその公衆電話は使えなかった。
最初にカードは使えないようだと教えてくれた女性は、首をふりながら諦めてどこかへ去って行ってしまった。
せっかく話しかけてくれたんだから、そうなのね、とか、教えてくれてありがとう、とか、何か一言でも言えたら良かったのだが、そのとき初めて一人で海外へ降り立った、自称コミュ障の私は、彼女の方を見つめるだけで、何も言えずじまいになってしまった。(イギリス生活が長くなってきてわかったが、つぶやくように他人に話しかけたり、話しかけるように独り言を言ったりしてその場で短い会話を楽しむのがイギリス人なのである。彼女がイギリス人だったのかはさておき。)
その後、別の観光客らしき人が私や先ほどの女性と同じように、カードを使おうとして失敗し苦戦していた。
私も彼女のように、カードは使えないみたい、と一言声をかけられれば良かったものの、まだ当時は勇気が出ず、カードどころか何も使えない。どうすればこの公衆電話が使えるのか誰もわからないじゃないか、と気がついたのだった。